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恵比寿に行ってきました。とある会社にお邪魔して、ソフトウェア製品のトレーニングの受講です。窓からの眺めがとても東京していました。
終了後、一風堂で晩ごはんを食べてから、恵比寿ガーデンプレイスに行きました。下の写真は、なんと手持ちでシャッタースピードが1.6秒なのに、ほとんど手ブレしなかった奇跡の一枚です。
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クリスマスツリーもきれいでした。
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バカラのシャンデリアがごじゃーすでした。
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2012年11月14日水曜日、オーストラリアのケアンズ・プリティービーチで皆既日食を見てきました。
近畿日本ツーリストのツアーで行ってきました。個人では観測好適地に移動できないと判断したためです。2009年上海はJALのツアーでした。マイレージの関係で今回もJALのツアーがあればよかったのですが、開催がありませんでした。景気のせいなのか事情は分かりませんが、たった3年でも大きく変わるものだなと思います。自分としても懐具合がいい訳ではないのですが、張り込んでビジネスクラス―シーベルケアンズ(のちにプルマンケアンズに改称)の、竹―竹ランクを選びました。うるさい子供が少ないだろうと思ってです。
新宿からNEX35号に乗り、成田空港に向かいます。集合場所の団体カウンターでは、ホテル別の列になっていて、ホリデイ・インの長い列を横目にやや恐縮しながらEチケットその他書類をもらいました。チェックインカウンターでは、ビジネスのカウンターが埋まってエコノミーのカウンターに割り込む形になってしまい、さらに恐縮しました。
同行のツアーのみなさまは、ロマンを内に秘めつつも、外見は地味な真面目な方ばかりで、いわゆるDQNな人は皆無でしたので、旅行中気持ちよく過ごせました。みなさま荷物がコンパクトなのが不思議でした。観測地ではすごい機材をちらほら見かけましたが……
自分の荷物は、着替えを詰めたコロコロと、撮影機材を入れた登山リュックでした。必要最小限に絞っても、重くて取り回しに苦労しました。筋力は大切です。コロコロを預けて、さっそくラウンジに行ってみました。パンやおにぎりがあり、ソフトドリンクはもちろん、生ビールサーバーが2種など酒類も豊富でした。トマトジュースとコーヒーだけ頂きました。
時間になり、搭乗です。機材は、A330-300でした。PRESTIGEクラス(KALではビジネスクラスをこう称しています)のシートは広々としてフルフラットになり、とても快適でした。ウェルカムドリンクはシャンパンです。旅の安全を祈って乾杯しました。アメニティキットは、DAVIのポーチでした。搭載ワインのRobert Mondaviの化粧品のようです。
いよいよ離陸です。GPSロガーのDPL900を使ってロギングしていましたが、なぜか千葉沖で途絶えていました。
離陸してしばらくすると、一回目の食事です。10年ぶりに韓国のビールを飲みましたが、昔より美味しかったです。
前菜にはキムチと梅?の小鉢がついていました。キムチは辛くて、辛い物好きの自分にはうれしかったです。『美味しんぼ』の富井副部長「へ、キムチって辛いもんでしょ?」のセリフを思い出して笑ってしまいました。
大韓航空名物のビビンバの登場です。チューブ入りコチュジャンと、ゴマ油と、小鉢のキムチをまぜまぜして食べました。あちこちからスプーンがちゃんちゃん鳴っていて面白かったです。干し鱈のスープ(ブゴク)も美味しかったです。
22時頃には消灯でした。シートをフルフラットにして就寝しましたが、睡眠用の着替えがなく服がそのままだったのと、飛行機の揺れと、旅の興奮とで、よく眠れなかったです。
オーストラリア東部標準時0230頃、パプアニューギニア上空で起床です。朝食は「エッグ」を選んでおきましたが、オムレツでした。頭がぼーっとしたまま撮影を忘れて、それでもモリモリ完食しました。
無事ケアンズ国際空港に着陸し、入国審査を受けました。この時点で薬品等確認を行うようでしたので、手荷物からジップロック入りの薬を出してパスポートと一緒に見せました。ハイチオールCとかゆみ止めのムヒアルファEXです。審査官から何も聞かれませんでした。検疫も、通路の途中に立っている係員が、軽く一瞥する程度で拍子抜けでした。
ケアンズは、湿度は高いのですが、まだ早朝のせいか暑さはあまり感じませんでした。バスに乗り、観測場所のプリティービーチに下見に行きました。まだ日の出前で道路沿いの様子はよく分かりません。
プリティービーチは、きれいで気持ちのいい浜辺でした。砂の粒子が細かくてさらさらです。巨大なテントや仮設トイレも申し分なく、救急スタッフやガードマンのチームもいました。ただ、次の日の第一接触の時刻を過ぎているのですが、太陽は雲の中です。しかし、誰も危機感を抱いてないようで、何かみなさんまったりとした雰囲気でした。30分くらいしか居られなかったので、機材を展開できる訳でもなく、第二接触の時刻になる前に集合でした。
バスが妙な香水臭に満ちていて、44号線キャプテン・クック・ハイウェイを飛ばして揺れたため、相方が具合が悪くなってしまいました。下見どころではなく、テントのテーブルに突っ伏して気持ち悪さに耐える状態です。戻りのバスに乗れるかも危ぶまれました。
どうにかバスに乗り、プルマン・ケアンズ・ホテルに到着しました。途中、虹やワラビーやマンゴーを見かけましたが、相方は見る余裕はありませんでした。部屋に入り次第、即座にベッドにバタンキューです。水まわりを確認し、ひとまず休みましたが、乗り物酔い以上の気持ち悪さで、病院に行きたいとのことです。ツアーデスクの方に尋ねると、日本語対応のメディカルセンターがあるとのことで、電話し1430の予約になりました。10時からの国立天文台・小久保先生のセミナーは、当然スキップです。
14時頃ロビーに降り、コンシェルジェにタクシーをお願いしたところ、名前を聞かれてパソコンにちょこっと入力して、すぐ来るとのことでした。やきもきしながら待つと、インド系と思われるドライバーのタクシーがやってきました。ツアーデスクの方に聞いたとおり、「ジャパニーズ・メディカル・センター」と行先を告げると、「どこの通りだ。そこは日本人用じゃない。エブリワンのだ」と教えてくれたのが、急を要する中でも面白かったです。
メディカルセンターに着くと、日本人スタッフは患者対応中で不在とのことでした。外国の病院は初めてなので、受診の流れがまったく分かりません。ほんとうにプレッシャーで辛かったです。それっぽい容貌のスタッフが現れましたが、次の患者さんが来たりしてつかまえることができません。しかし、状況が状況ですから受け身でもいられなく、勢い込んで日本語で話しかけたところ、相手をしてもらえました。
問診票を記入し、ようやく診察を受けると、胃腸炎との診断で、薬を2種類いただきました。費用は相方のクレジットカードの付帯保険です。保険が認められない場合は、カードの引き落としになるようです。お医者さんに診てもらって安心したのか、相方もだいぶ調子が回復したようです。ホテルへの帰り道は3ブロックほど歩いて、Woolworthsで買い物をする余裕もでてきました。
部屋に戻ると、18時を過ぎていました。次の日は24時出発でしたので、何も食べていませんが寝ることにしました。
写真は撮れていませんが、フルーツバットという大型のコウモリが大群で飛び交っていました。昼間、全員?で木にぶら下がっている姿も興味深かったです。
0時集合でしたので、23時半に起きました。広くて快適なベッドでしたが、心配や興奮でよく眠れませんでした。
点呼でもたついて、やや出発が遅れましたが、危惧していた道路の渋滞はなく、スムーズにプリティービーチに到着しました。二名ほどバスにこないツアー離脱者がいて、「観測に有利な内陸に行くのかな」と思いました。
夜のプリティービーチは、松明や灯明、サイリウム?の動線照明で素敵なムードでした。しかしなんといっても星空が圧巻でした。まず、オリオン座の様子がおかしいのです。向きが違いますし、星がありすぎて、ベルトの3つ星が細って見えました。そして南側のみたこともない星の配置です。いっしゅ異様に感じてしまいました。東のしし座の方を見ていると、いくつもの流星が見られました。次のリストの、見たかった一等星はすべて見られました。南十字星を見たときは、「銀河鉄道の夜」を思い起こして涙がこぼれました。雲がちで、石炭袋は見えませんでした。
巨大テント内にバフェ形式で朝食が用意されましたが、紅茶を頂いただけでした。そろそろ24時間何も食べてませんが、興奮状態で空腹は感じませんでした。
だんだんと東の空が明るくなっていきます。明けの明星が輝いています。0536、日の出です。
第一接触は0544でしたが、雲の中で見えませんでした。0616頃、ようやく部分日食の様子が見えてきました。
赤道儀を持っていないので、どんどん太陽は移動していきます。手動で追従するのがたいへんでした。望遠レンズの振動もなかなか収まりません。三脚は何も考えずに持っているものを使用したので、事前に検討するべきだったと思います。あと、カメラの時計を合わせていかなかったのも失敗でした。
撮影方法は、マニュアルフォーカス、露出は開放固定(F5.6)で、雲のかかりかたに応じてシャッタースピードを手動で変化させて対応しました。
皆既中はND100000フィルタを外さなければなりません。部分食の段階でキコキコねじ込み式のフィルタを回して外しました。タイミングを迷ったのと、フィルタを持ってレンズの先にあてながら、撮影を続けるのも手が疲れてたいへんでした。
第二接触は雲の中でした。
「神も仏もないのか……」と思われかけましたが、奇跡が起こりました! 小さくプロミネンスが見え始めたのです。雲の隙間です! 今思い返すだけでもほんとうに涙が出てきます。
コロナも見え始めました。
コロナはもっと薄っすらしたものかと思っていましたが、強く輝いて美しかったです。
上側のプロミネンスも見えました。
皆既中、手指も身も心もブルブル震えて極限状態でしたが、がんばって写真撮影を続けました。もちろん肉眼で見ることも忘れなかったです。
ダイヤモンドリングの撮影は失敗してしまいました。まぁでかいダイヤということでイイかと思います。RAWからホワイトバランスを調整してみました。
第四接触までが日食です。
ですが、第四接触まで約40分もあるなか、撮影終了し片づけを始めました。
ミッションコンプリートです。
わだつみを 越えて眺むる 十字星 明くる浜辺で 月の影踏み
撮影ヘリが飛んできました。オーストラリアで放映されたかも?
ちょうどカメラが写っているので、機材の紹介です。
Nikon 1では2.7倍相当の画角で写りますので、300mm×2.7の810mm相当での撮影になりました。
第四接触が終わった頃、テントに全員集合しました。小久保先生の挨拶がありましたが、よく聞こえませんでした。もし2009年トカラに続いて皆既が見られなかったらたいへんな事でしたので、今回見られてよかったと思います。お話の後、バスに乗車してケアンズ市内に戻りました。ツアーBコースの人たちは、これからエアーズロックに飛ぶとのことでした。
ホテルの部屋で一時間ほど休憩して、Cairns Centralに出かけました。Bucking BullでRoast Burgerを食べました。なんとケアンズ初の食事です。Colesで買い物をして、タクシーでホテルに戻りました。
夜は単独行動で、Night Marcketsに行きました。小さいお土産屋さんがたくさん集まっています。オーストラリアの形をしたピンズを自分用に買いました。
フードコートで、Crown Lagerを飲みました。ライセンスエリアでしかアルコールが飲めないので、エリアを離れないよう店員さんが説明してくれました。
海沿いのエスプラネード通りを歩きました。どこのレストランも満員です。
仕方がないので、Woolworthsでお惣菜を買ってホテルに帰って食べました。チキンサイとパスタサラダとサンドイッチです。Woolworths横にリカーショップがあり、日本でもよく飲むJacob’s Creekの、日本で見かけたことのないRESERVE COONAWARRA CABERNET SAUVIGNONを買いました。店員さんが「See you tomorrow!」と挨拶してくれました。よくお分かりです。のんべえなのはお見通しでした。
23時頃には就寝したかと思います。今回の旅行では、テレビを一度もつけませんでした。
0700の飛行機で日本に帰ります。0400集合でしたので、0300起床でした。帰りの機内では、なんと!、前の座席に毛利衛宇宙飛行士が座られていました。どうもツアーに参加されていた様子ですが、行きや観測地ではまったく気がつきませんでした。
行きは眠っていて赤道通過はわかりませんでしたが、帰りはバッチリでした。
なんだか食べ物写真ばかりになってしまいました。
毛利さんは、着陸体勢から熱心に窓の外をご覧になっていました。ちょうど我々の機体の影が海面や地面に映っていました。宇宙飛行士と同じ景色が見られて、なかなか感慨深かったです。
次は、2017年8月22日、北米での観測を夢見ています。
そして、2027年8月2日・エジプト、2035年9月2日・日本、でも、皆既日食を見ることでしょう。
2012年10月21日(日),第28回百里基地航空祭に行ってきました。
若鷲の歌 作詞:西條八十 作曲:古関裕而
若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の 雲が湧く
百里基地は遠いので,土浦に前泊しました。のんびり地元を出発して,東横INN土浦駅東口に1500頃到着しました。アーリーチェックイン(1500~)を指定していませんでしたが,チェックインできました。宿泊ポイントが9点になりました。10点で一泊無料になります。
一息いれた後,水戸まで足を延ばし,旧友と山翠であんこう鍋を食べました。まだ季節としては早いですが,美味しかったです。地酒を三種類ほど飲みましたが,「郷乃誉」が気に入りました。納豆の天麩羅を初めて食べましたが,こちらも美味しかったです。満腹になってしまったのと,コースについていないので,雑炊は食べませんでした。きっとうまいだろうな~と思います。
翌朝0548,土浦始発JR常磐線高萩行きで出撃です。まずはローソンでおにぎり2個と水1リットルを買いました。電車内は百里に向かう人がほとんどでした。0602,石岡着。シャトルバス往復券¥1,600円を購入して,立ち乗りでバスに乗車しました。0700,百里基地着です。ミリオタ2名の方が様々な話題を大きな声で話していて,退屈しませんでした(うるさかったですが)。
地上展示を紹介します。
腰に何か物騒なものを吊るした警備隊が行進しています。
0900からのT-4のオープニング飛行に向けて,地上準備が始まりました。
パイロットは手を振りながらタキシングしていきます。
午後は管制塔側では逆光になるとのことで,西側の駐車場エリアに基地内シャトルバス(¥150)で移動しました。
西側の駐車場にいるため,基地内シャトルバスで管制塔側に戻って,石岡行きシャトルバスの行列に並んで,では時間がかかりそうでしたので,茨城空港に歩くことにしました。1500頃歩き始めて,1520には茨城空港に着きました。「すぎのや本陣」で生ビール中ジョッキを飲みました。暑い1日だったので,最高でした。
1545の石岡行きバスに乗りました。かしてつバス専用道を通ったのでスムーズでした。1634石岡発JR常磐線上野行きに乗れました。帰りに浅草の捕鯨船に寄って「牛にこみ」と「くじらの皮とさしみのミックス」を食べました。
平成24年10月14日(日),自衛隊観艦式に行ってきました。数日前時点の天気予報とは異なり,曇りから雨,風強く,航海中の艦上はだいぶ寒かったです。視界もよくなく,期待の富士山は見えませんでした。また,航空自衛隊の戦闘機の参加もありませんでした。
乗艦したのは,ATS-4203 訓練支援艦 てんりゅうです。出港地は,船越でした。クルマで行きましたので,横須賀中央のぴぽ320に駐車しました。最寄の田浦周辺の駐車場は,満車であろうと考えたためです。0700頃ですが,ぴぽ320は十分な空きがありました。運よく駐車場横でタクシーが客待ちしていましたので,乗車して「船越の自衛隊」と告げました。他の出港地に,吉倉,横須賀新港がありますので,間違えないようにすることが重要です。
タクシーの中でたいへんな事に気がつきました。カメラ(Nikon1 J2)をクルマの中に忘れてきてしまったのです。幸い、LUMIX TZ7をリュックに入れて持っていたので、写真を撮ることができました。
船越の自衛艦隊司令部に到着すると,観艦式のシンボルマークと標語「~守る この海・夢・未来~」が書かれたゲートが迎えてくれます。すでに手荷物検査は大行列になっていましたが,レーンも多く,さほど待たずに検査を受けられました。前のおじさんがお酒を持ち込もうとしているのがバレていました。水筒や蓋が空いているペットボトルは一口飲むよう求められます。
売店のテントが2つあり,グッズを販売していました。前日までに一般公開でタオル・手ぬぐいを購入済みでしたので,とくに何も買いませんでした。また,事前に観艦式記念切手が発売されており,発売日の10月5日に久里浜郵便局で買いました。
さて,てんりゅうへの乗艦です。てんりゅうはこの岸壁に停泊していました。前日に一般公開で乗艦したDDH-182いせに比べると,いせが基準排水量13,950トン,てんりゅうが2,450トンと,五分の一未満の小ささです。
後部甲板は平らになっており,オレンジ色の無人標的機が2機搭載されていました。後部格納庫でパンフレット・毛布の配布と,カレーパン・記念切手の販売がありました。毛布はかさばるので,毛布を持ったまま艦橋および艦橋上甲板に登ることは禁止されていました。陣取る予定の艦橋上甲板に毛布があるかどうか心配でしたので,偵察に行ったところ,毛布およびスペースが十分にあったので,観閲の様子を見やすい右舷側に陣取りました。
0800頃,艦尾で自衛艦旗の掲揚がありました。厳粛で,これからの航海に対する気合いが入るとともに,艦と隊員と乗客との一体感を(勝手に)感じて目がうるみました。しかし,脱帽しない人は何なんでしょうか。
観閲付属部隊のしんがりを務めるてんりゅうの出港は遅めで,0905の予定でした。出港を待っている間,エンジンの振動と,ごくわずかに波で揺れているような感覚に,うっすら船酔いが始まりそうになります。帰りにクルマを運転する予定でしたので,酔い止め薬は服用しませんでした。
そのうち,若くてまつ毛の長いイケメン隊員が,バズーカのような望遠鏡を携えてやって来ました。「測距儀」が正式のようです。勇ましい出港ラッパが鳴り,出港していく際に,岸壁から徐々に離れる距離を報告していました。艦に電源を供給する電源ボックスを目標に測定していました。
右手に米軍施設,左手に追浜の工場群や横須賀名物のガントリークレーンを眺めながら,艦はなめらかに海上を進んでいきます。女性隊員が艦橋から景色や天候,艦上での注意など様々なアナウンスをしてくれているのですが,初め「おっぱま」の発音が「お」にアクセントがあり,てんりゅうが呉の艦であることを思い出させてくれました。
吉倉から出てくる艦。猿島。第一海堡,第二海堡。走水からのたくさんの遊漁船。防衛大学校。観音崎の東京湾海上交通センター(東京マーチス)。久里浜の火力発電所の煙突。などを眺めながら,浦賀水道を南行していきます。
そのうちに,雨が降り始めました。リュックにカバーを掛け,間にお借りしている毛布を押し込みました。毛布を置きっぱなしで艦内見学に行ったグループもいました。毛布はびしょ濡れです。自分の毛布でも同じことをするのでしょうか。干していて雨が降り始めたら,急いで取り込むと思うのですが。
観閲部隊と観閲付属部隊の二手に分かれて西進します。上のGPSログ動画を見ると分かりますが,初島と同緯度付近を東西に真っ直ぐ航行しています。右手北側の観閲部隊は,ゆうだち,くらま,ひゅうが,ちょうかい,あたご,の列ですが,やはり,ひゅうがの巨大さが目立ちます。我が方の観閲付属部隊は,いなづま,あすか,ちはや,やまゆき,てんりゅう,の順だったかと思います。途中,観閲官乗艦のため,くらまが大きく艦列を離れて,観閲官を乗せたヘリコプターが着艦していました。
はじめの頃,西の方を見ても,受閲艦艇部隊の姿は影も形もありませんでしたが,しばらくして現れてきました。受閲第一群から第七群,祝賀航行部隊が一糸乱れぬ一列となって,遠く水平線から東進してくるのです。映画「ラスト・サムライ」で騎馬の侍が森から現れてくるシーン(官軍は畏怖で逃げ出してしまう)にも似た凄味があり,強く心に印象が残りました。
観閲艦と付属艦の間を受閲艦が通過する様子は,もはやお祭りです。最新鋭艦の,受閲旗艦DD-115あきづきに始まり,わんさかわんさか通って行きます。受閲艦は北側の観閲艦に登舷礼をしているので,付属艦は背中を見ている感じです。祝賀航行部隊の,星海軍RSS PERSISTANCE,豪海軍HMAS SYDNEY,米海軍 USS SHILOHに続き,うみぎりがしんがりを務めました。受閲航空部隊は,とても楽しみだった空自F-2,F-15Jは残念ながら欠席でした。写真を撮ったり感心したり,たいへん慌ただしくあれよあれよという間に観閲が終わってしまいました。自分の眼だけで見た方がよいかもと思います。
無事観閲を終えると,左舷側に移動しました。訓練展示は左舷側で実施されるためです。左舷に移ると,水平線しかない南側の海は遠くに光が射して美しく,北風がさえぎられてほっとしました。それもつかの間,第2の圧巻です。観閲部隊と付属部隊が次々に取り舵で180度ターンしていきます。旋回半径はかなり短く,周囲を見ると,艦がいっぱい動いていて,何が何だか分かりません(笑)。どうやらニュータイプにはなれなさそうです。
ターンの興奮さめやらぬ中,訓練展示が始まります。はたかぜ,しらねの祝砲発射です。5発の予定が4発でした。1発,不発弾だったとのことです。あとで不発弾は海中投棄されたようです。たかなみ,おおなみ,はるさめの戦術運動は,遠くでよく分かりませんでした。潜水艦の浮上と,ヘリコプター発艦もよく見えませんでした。やはり付属部隊しんがりは,訓練展示を見るのには不利です。続いて洋上給油です。ましゅうの横をはるゆきが並走します。せとぎりがライフガードとして,人員の落下に備えて後続しています。LCAC(エルキャック……ホバークラフトです)とミサイル艇の高速航走は,近くに来たので見やすかったです。LCACのエンジン音が大きくて意外でした。アメリカ製とのことで,言われてみればアメリカっぽい音でした。ミサイル艇のIRデコイ発射は分かりませんでした。
続いて展示航空部隊です。P-3Cが2機飛来し,対潜爆弾を投下しました。ずごーんと音が響いて,海面に水柱が立ちます。再びP-3Cが2機やってきて,IRフレアーを発射しました。いくつもの光り輝くフレアーが白煙を引きながら弧を描いて落下していきます。次にUS-2とUS-1Aが超低速でやってきて,着水しました。二式大艇が好き(鹿屋航空基地史料館で見て好きになりました)なので,感涙ものでした。離水の様子もとてもかっこよかったです。
以上で観閲および訓練展示が終了しました。東進とともに風雨が強まり,だいぶ寒いので毛布を体に巻きつけました。内閣総理大臣の訓示がありました。内容はこちらになります。野田総理が五省を読み上げるのは,はっきり言って海上の冷たい風よりさむかったです。
帰路は後ろに,いせが続いていました。上のGPSログが途切れるところで,艦内の見学をしました。金比羅さまの神棚がありましたので,残りの航海の無事を祈念しました。若者が携帯をいじっていて,カメラで神棚を撮影して去っていったので,憤慨しました。相方がトイレを借りたところ,ウォシュレットだったとのことです。
東京湾内,浦賀水道を北上すると,波がおだやかになり,風もやみました。無事,長浦湾に入り,曳船に押されて船越に接岸し,舫う作業を見学しました。退艦までやや時間がかかりましたが,航海を乗り切った充実感で幸せいっぱいでした。
てんりゅうの隊員のみなさまに感謝いたします。
UW1